2024 年 10 月 30 日掲載
加藤一二三さん、茂木健一郎さんの『ひふみん×もぎけん ほがらか脳のすすめ 誰でもなれる天才脳の秘密』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。
茂木
将棋のタイトル戦では前夜祭がありますね。どんな感じの催しなんですか。
加藤
最近はだいたい立食パーティになりましたが、かつては関係者がそろって着席し、食事をして話をするという感じでした。この点、囲碁はずいぶん違うようです。決戦のゴングが鳴っているのだから前夜祭では一緒に食事をしない、と、囲碁のトップ棋士の方から聞いたことがあります。囲碁の世界と将棋の世界は、似ているところがあるから互いに交流はあるんですが、全然違うところもあるんですね。そのもうひとつが感想戦です。
茂木
ほうほう。というのは。
加藤
将棋では、熱戦が終わった後、私たちは即その場で1時間ぐらい、互いに対局を振り返って研究します。いっぽう囲碁では、戦いが終わったら、まずは引っ込んで、別々に食事をして、風呂に入って、と、かなり時間がたった後に部屋に集まり、そこから2人で研究するそうです。
茂木
あっ、ちょっと間を置くんですか。
加藤
そう。早くても3時間ぐらい後でしょうね。そこからがすごい。5時間ぐらい検討するんだって(笑)。我々の感想戦は1時間ですよ。
茂木
おもしろいですね。文化の違いがおもしろい。
加藤
戦い終わって、ある意味冷静になってから、お互いに研究する。囲碁のそれはそれで、ひとつの知恵ですよね。
茂木
どちらかというと、囲碁のほうが、起源からして大名がちょっとたしなんだりと、優雅な文化なんでしょうね。勝ち負けも、将棋は王を取るという厳しいものだけど、囲碁はここで地を失ってもあちらで回復すればいいという、大局に重きを置くもの。だからか、昔から財界人や経営者は囲碁を好む人が多いですね。じつは僕も囲碁のほうが強いんです。アマチュア4、5段くらいだと日本棋院の人に言われました。
最近の将棋ブームを見ると、今は囲碁にはちょっと厳しい時代なのかなと思います。終わったら、すぐに感想戦というのもメディア映えはいいですしね。加藤名人は、囲碁はされますか。
加藤
アマチュア初段の免状をもらっています。
茂木
なるほど。囲碁をする方で将棋、逆に将棋をする方で囲碁をやる方はときどきいますね。日本棋院と日本将棋連盟の間にはどれくらい交流があるんですか。
加藤
結構ありまして、以前、囲碁の趙治勲さんと一緒に番組に出て、僕が趙さんに碁を教えてもらい、趙さんが僕に将棋をならうということをやりました。趙治勲さんは本当は将棋がものすごく強いんですよ。実力から言ったら、プロに飛車角落ちで絶対に勝てるぐらい強い。
でも、趙さんはどうしても勝ちたいらしくて、戦う前に僕に言うんですよ。「加藤さん、あなたが私に勝負で負けてくれたら、私も囲碁のほうはちゃんと負けるから」って。でも、実際に将棋を指してみたら、飛車角落ちで、本当に実力で負かされた。
それで、囲碁のほうは趙治勲さんが七目で打ってくれたの。本当は囲碁の手合いでは、星目風鈴というのが正当なハンデの付け方だけど、趙治勲さんにはあえて七目で打ってもらって、約束どおり趙治勲さんが僕に勝ちを譲ってくれました。
それと、別のある囲碁の棋士から言われたのは、加藤さん、強くなるには4、5人の有力な研究会に入れてもらって、そこで研究するのがいちばん身になるよ、ということでしたね。
茂木
話し合いの中から正解が見つかる。一種の「教師あり学習」ですね。先生がついていて、正解を教えてくれるという学習方法ですが、それはさきほどの感想戦もそうなんです。お互いが先生になる。失敗したときほど学習効果が上がるという意味においては、感想戦はすごく学びが大きいんじゃないでしょうか。おもしろいですね。戦いが終わった後に、お互いに胸襟を開いて、1時間ぐらい対局を研究するんですね。
加藤
そうそう。時に相手から教わることもあるの。感想戦で、「加藤さんね、こういう手を指したんだけども、あなたが指した手よりこの手のほうがいいんじゃないか」と言ってもらったりする。
特に羽生善治さんからは、感想戦のときに、「加藤先生、ここで先生がこうやったほうがよかったんだ」と、3回ぐらい教わったことがある。そういうのを相手に教えることは、よけいといえばよけいなんだけどね。いや、でも性格ですよ。勝ったときと負けたときで感想戦のテンションに明らかな差のある棋士もいますから。
茂木
そうなんですね。これからは注意深く会話を聞きたいと思います。
加藤
ええ。でも、NHKの将棋番組では、戦いが終わった後、2人がしゃべっているところが映りますが、表情を見ただけではどっちが勝ったかわかりません。スポーツの試合と違って、ガッツポーズなどないですし、始めから見ていた人はどちらが勝ったかわかっていますが、感想戦だけ途中から見た場合はわかりにくいですよ。だから僕はときどき「こちらが勝ちました」ということを画面にわかりやすく出したほうがいいと思っている。
茂木
それぐらい勝っても負けても態度が変わらない。
加藤
自制しているところもあるでしょうね。
茂木
現実世界の中でも感想戦のようなものがあれば、争いごとも減りそうですね。相撲もそうです。勝っても負けても喜怒哀楽は表さず、最後の弓取り式で、勝った力士の代わりに弓取り式の力士が喜びを表すんです。日本独特の美意識を感じますね。
あと、将棋の感想戦というのは、勝った負けたをメタ認知に至らしめる貴重な機会なんだと思います。
スポーツを見ていてすばらしいと感じるのは、やっぱり大きな試合の決勝戦や、メダルがかかったときの大一番です。それがあるから人間のポテンシャルのもっとも深いところが引き出される。その、勝負がかかったときに引き出される人間の潜在能力を見て、みんな感動するんだと思うんです。