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応氏杯の逸話

2024 年 08 月 16 日掲載

応氏杯の逸話 又々感動

囲碁界の「オリンピック」

「応氏杯」が「囲碁界のオリンピック」と称される理由は、その大会規模、影響力、そして四年に一度の開催周期にあります。さらに、この大会がオリンピックと同年に開催されることも、この称号を持つ理由の一つです。1988年に初めて開催されたこの大会は、「世界囲碁元年」とも称され、囲碁界に新たな歴史を刻みました。

世界初の国際囲碁大会

1988年以前には、世界中の棋士が一堂に会する国際的な囲碁大会は存在しませんでした。それまでは中日囲碁チーム戦など、主に二国間での国際対局が主流でした。しかし、応氏杯の登場によって、全世界の棋士が同じ舞台で競い合うことが可能になりました。囲碁界の巨匠、呉清源氏は応氏杯について「応昌期氏は、世界囲碁選手権を創設した最初の人物である」と評価しています。

世界囲碁元年を築いた大会

応氏杯が開催された1988年、日本でも同じ年に「富士通世界囲碁選手権」(2011年に終了)が開催されました。しかし、世界囲碁元年としての象徴的な大会は、間違いなく応氏杯でした。応氏杯が世界初の大規模な国際囲碁大会として、世界中の囲碁ファンと棋士に新たな希望と目標を与えたのです。

巨額の賞金と囲碁の国際化

応氏杯の影響力は、40万ドルという巨額の賞金により一層強調されました。この当時、大学卒業生の初任給が(日本:1200ドル、中国:40ドル、韓国:600ドル)程度であったことを考えると、この賞金の大きさは計り知れません。賞金の額が高かったことから、世界中のトップ棋士がこの大会に集まりました。また、中国、日本、韓国の名立たる棋士だけでなく、台北や欧米からも参加者が現れ、囲碁の国際的な普及に大きく貢献しました。応氏杯は、囲碁の魅力を広く伝え、多くの人々に囲碁の楽しさを知ってもらうきっかけとなったのです。

応氏規則の誕生

応氏杯が他の囲碁大会と一線を画す理由の一つに、特別な「応氏規則」の存在があります。この規則は、創始者である応昌期氏が20年間をかけて完成させたもので、彼はその功績により「囲碁界のノーベル賞」とも称されました。

黒8目コミと罰点システム

応氏規則の最大の特徴の一つが、黒番に8目コミがつくことです(日本は6目半コミ)。これは、「碁盤を完全に埋める」ことが求められ、全ての石の生死を判定し、最終的なスコアを正確にするための仕組みです。応氏規則のもう一つの重要な特徴が「罰点計時制度」です。これは、各棋士に3時間30分の持ち時間が与えられ、秒読みはありません。持ち時間を超過すると、35分ごとに2点の罰点が課され、最大で3回まで罰点を受けることができます。特に決勝戦ではこの計時方式が採用され、予選や準決勝ではさらに厳しい時間制限が設けられています。

複雑な局面への対応

もう一つの特徴は「劫分争搅(けいふんそうきょう)」という特殊なルールです。このルールは、三劫循環や四劫循環といった複雑な劫争にも対応し、勝敗を明確に判定するためのものです。簡単に言えば、応氏杯では「無勝負」という結果は存在しません。応氏杯はこの規則に自信を持っており、「応氏規則」で解決できない局面を作り出し、無勝負に持ち込んだ棋士には5万ドルの特別賞金が与えられると発表しています。

勝敗判定の統一が難航

目数法、石数法、そして応氏規則という三大ルールが囲碁の勝敗を判定する基準として存在していますが、これらのルールが統一されないことが、囲碁がオリンピックの舞台に立つことを難しくしている側面もあります。事実、現在のオリンピックには、知的競技としての枠組みがほとんど存在せず、唯一、チェスが1924年にオリンピックに登場したことがありますが、その際もプロ棋士の参加が禁止されていました。

囲碁普及への貢献

応氏杯は、その深遠な歴史的影響にとどまらず、囲碁の国際的な普及にも大きく貢献しました。巨額の賞金に魅了された西洋メディアが囲碁に注目し、囲碁という競技を知り、そして実際に触れることで、囲碁は世界中に広がっていきました。

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